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千と千尋の神隠しにまつわる都市伝説や謎!
スタジオジブリ制作の『千と千尋の神隠し』ですが、ネット上で実にさまざまな都市伝説や謎、裏話的な話が広まっています。今回はそんな『千と千尋の神隠し 』の都市伝説や謎に迫っていきたいと思います!
『千と千尋の神隠し 』はこんな話
【劇場版予告】千と千尋の神隠し -Spirited Away Trailer-
『千と千尋の神隠し』の都市伝説や謎についてお話する前に、ストーリー忘れた!と言う人のために簡単に概要を説明します。
『千と千尋の神隠し』は2001年7月に劇場公開されたスタジオジブリのアニメ映画です。
10歳の千尋(ちひろ)は、引っ越し先に向かっている途中に通ったトンネルで、神様の世界に迷い込み、両親が起きてを破ってしまったため湯婆婆(ゆばーば)に姿を豚にされてしまいます。
両親を元の姿に戻すため、そして人間の世界に戻るために千尋は湯婆婆が経営している銭湯で働くことになります。
さまざまな出会いや出来事を乗り越え、千尋が人間に戻った両親と共にもといた世界へ戻るまでを描いた作品です。


タイトルは『千とちさとの神隠し』の予定だった
『千と千尋の神隠し』は当初『千とちさとの神隠し』というタイトルの予定でした。
もともとこのストーリーができるきっかけとなったのは、宮崎監督の一家と、プロデューサー一家、そして『紅の豚』のポルコのモデルになった佐伯さん一家でキャンプに行ったときの出来事が発端なんです。
キャンプ中、佐伯さんの娘・ちさとちゃんの靴が川に流されてしまったそうです。それを皆で拾おうとして全員がずぶぬれになって大笑いしたと言うことがありました。
宮崎監督はその出来事で元気を出し、笑いをくれたちさとちゃんに対する感謝の気持ちでタイトルを『千とちさとの神隠し』にしようとしていたそうです。
しかし、ストーリー制作が進むにつれ物語の方向性が変わってしまったため、最終的に『千と千尋の神隠し』というタイトルに決定されました。
湯婆婆の経営している温泉は「風俗」がモデル?
(画像参照元:http://www.akb48matomemory.com/archives/1063867924.html)
何気なく『千と千尋の神隠し』を観ていると、結局のところ異世界に迷い込んだ少女が、両親を元の姿に戻し人間界に戻るまでの話、で終わってしまいます。
しかし、湯婆婆の経営している油屋(銭湯)で千尋が「湯女」として働くことになったという部分で、歴史に詳しい人ならピンときた人がいたのではないでしょうか。
この「湯女」、何もしらなければお風呂担当で、お風呂掃除などをしているんだろうと思う人が多いと思います。
しかし、日本の歴史を見てみると「湯女」とは「遊女(売春婦)」のことを指す言葉なんです。
そして赤い提灯は居酒屋と言うイメージを持つ人が多いですが、世界共通で「売春宿」の目印にもなっています。そして作品中の油屋の家具などの配色を見ていると、江戸時代の遊郭のようなデザインになっているんです。
また湯屋の屏風にはっきりと「回春」と書かれているものもあるので、「湯屋=風俗」説は当たっているといえます。
「千」は源氏名?
さて、『千と千尋の神隠し』が裏設定で風俗を題材にしているとすると、初期タイトルが変更になった謎もわかってきます。
遊郭には本名とは別に遊女に着けられる「源氏名(げんじな)」というものがあります。わかりやすく今風にいうならホステスなどのお店での名前ですね。
「ちさと」が「千尋」に変わった理由ですが、「千」が遊郭でいう源氏名に当たるのでは?という説が流れています。
ストーリーを練りこんでいくうちに、風俗を裏テーマにすることに方向性が変わったというのならそれも納得できますよね。
宮崎監督の発言にも風俗に関するものがあった!
油屋が風俗をモチーフにしているという仮説を裏付けるものとして、有力なのが宮崎監督自身の発言です。
『千と千尋の神隠し』のインタビューを受けていた時に、宮崎監督は今の世界を描くのに1番ふさわしいものが何かを考えたそうです。そしてその結果、まるで風俗産業のようになっている日本を表現するならやはり風俗産業がぴったりだというように思ったそうです。
性的な意味合いは別としても、そういう目線でこの作品を見てみるとまた違った解釈などが出てきて面白いかもしれません。
実は原作となる作品があった?
これは、意外と知られていない話なのかもしれません。『千と千尋の神隠し』には、実は宮崎監督の考案したネタのほかに原作になったのではないかという作品が存在しています。
講談社の青い鳥文庫や電子書籍などで公開されている『霧のむこうのふしぎな町』という、柏葉幸子さんの作品です。
実際、企画の初期段階ではこの作品をアニメに出来ないかという話し合いはしていたそうですが、原作と大幅に内容が変わってしまうため『千と千尋の神隠し』はオリジナルストーリーとなっています。しかし、『千と千尋の神隠し』の制作に影響を与えているのでは?と言われています。
実は神隠しではなく死んでいた?
(画像参照元:http://studiototoro.com/wp-content/uploads/2016/04/%E8%BB%8A.jpg)
「死んでいた」というよりは「死にかけて臨死体験をしていた」というほうがしっくりきます。冒頭で千尋のお父さんが急にスピードを上げてふしぎ町の入り口になっているトンネルに向かいます。
この時に一家は車で事故にあってしまい、生死をさまよっていたのではないかという説です。実際、千尋がふしぎの町に出たときには体が透けています。
生死をさまよって昏睡状態になっていた千尋が体験した臨死体験が、この映画の話になっているのではないかと言われています。それなら神様や妖怪といった人外の存在がいる世界だったとしても違和感はないような気がしますね。
電車の乗客が黒い理由
この作品が千尋の臨死体験ではないかというのを裏付けるものとして、電車に乗っていた乗客がまずヒントになります。
千尋が電車に乗ったとき、他の乗客は黒く半透明な姿をしています。これは生きる希望も、未来も失ってしまった自殺する人という設定になっており、途中駅は自殺を踏みとどまった人が降りるためだけに存在しています。
ちなみにこの電車のモデルは小田急電鉄と相模鉄道だと言われています。
駅のホームに立っているのは…?
(画像参照元:http://studiototoro.com/toshidennsetsu-702)
千尋が海の上を走っている海原電鉄に乗車し、銭婆の家に向かっているときに、沼原駅のホームにおかっぱ頭の女の子がいたのを覚えているでしょうか?
一人で誰かを待っているような雰囲気で、他の乗客同様に真っ黒く顔を見ることができません。しかし一説には『火垂るの墓』に登場した節子ではないかと言われています。
『火垂るの墓』の節子は兄・清太より先に亡くなっていて、清太は『駅舎で餓死』しています。海原電鉄があちら側の電車という設定で考えると、清太よりも先についてしまった節子が、兄が来るのを待っているのでは?という説が流れています。
また別の説ではこのおかっぱ頭の女の子が、『となりのトトロ』に登場するサツキではないかという話もあります。『となりのトトロ』では、サツキとその妹メイが母親のいる病院へ向かう途中に2人は死んでいる、という有名な都市伝説があるんです。
この場合、サツキはメイが来るのを待っているのか、もしくは探しているのかもしれませんね。
カオナシ=サタン説は本当?
(画像参照元:http://studiototoro.com/toshidennsetsu-702)
『千と千尋の神隠し』の中で最も謎なキャラクターといえば「カオナシ」ではないでしょうか。実はこのカオナシに「サタン説」というとんでもない噂が流れています。
サタンといえば、キリスト教では悪魔の頂点に立つ存在で、キリストと相反する存在。人々を悪の道へとそそのかす存在としても知られています。
作品中、千尋がカオナシにどこからきて、なぜ湯屋にいるのか、両親は?といった質問をされても、あいまいな答えしかしませんが、元の世界を嫌がりしきりに「寂しい」を連呼しています。
戻るのも嫌な世界、そして「寂しい」ということから、元居た世界はとても忌まわしい世界か、荒れはてている世界なのでは?と推測できます。また千尋と電車に乗るシーンで「サタン」というネオンサインが一度だけ画面に現れます。まるでカオナシの正体を暗示しているかのようですよね。
カオナシはどこから来た?
カオナシが元居た世界はどこなのか、とても気になりますよね。実は映画のパンフレットにヒントとなる言葉が書かれています。
パンフレットには「湯屋のある世界とは別の場所からやってきた」と書かれています。さらに「謎の男」という性別まで書かれているんです。
このことから「異世界=地獄」とも解釈を広げることができて、サタン説もあながち捨てきれないですね。
しかし「己を持たない悲しい存在」とも書かれているんです。このあたりはキリスト教で言うサタンとは異なる点と言えるでしょう。自分らしさ、自分に自信のないむなしい存在といったところでしょう。
結局カオナシの正体は?
宮崎監督は、カオナシを現代の日本人のイメージで作ったようです。
寂しがりや、そして一人になることを嫌うのに人と関わるのが苦手で、相手の気持ちを考えることができない人。キレると手が付けられなくなるほど暴走するという、現代の若者に多いタイプの人達のイメージがカオナシの存在を作り上げたようです。
ちなみに、カオナシのモデルは『借りぐらしのアリエッティ』の米林監督がモデルと言われています。
カオナシの歌知ってる?
カオナシの歌があるの知っていますか?
作詞は宮崎監督で、イメージアルバムではムッシュかまやつさんが歌っています。
短い歌ですが、なんだか印象に残る曲です。
カオナシの歌がある!? 千と千尋の神隠し
さみしい さみしい
僕ひとりぼっち ねぇ
振り向いて こっち向いて
食べたい 食べたい 君
たべちゃいたいの 君、
かわいいね きっと寂しくなんかならないんだね
リンの正体は白狐?
面倒見がよく姉御肌でもあるリンは、作品中何かと千尋の世話を焼いてくれるお姉さんとして描かれています。しかし、このリンの正体は劇中で明かされておらず、カオナシ同様その正体についてさまざまな意見が出ています。
油屋には人間のような外見を持った従業員がいますが、その正体はほとんどがナメクジか蛙です。リンに関しては公式の資料で「イタチかテン」という設定にする予定があったそうですが、ラフ画には「リン(白狐)」と、書かれています。
白い狐といえば神様の遣いか、もしくは神と言ってもいいレベルの存在ではないでしょうか。そんな存在がなぜ油屋に?とさらなる疑問がわいてきますね。もしかしたら、ハクのように湯婆婆に名前を取られ、さらに元の記憶がなくなって、いいよう働かされているのかもしれません。
ハクが振り返るなといった理由とは?
千尋が元の世界に戻るとき、振り向こうとした瞬間に銭婆にもらった髪留めが光って、振り向かずに済みます。
ハクがなぜ千尋に「振り向かないで」といったのか、一般的には戻るときに振り向いてしまうと、トンネルの近くにあっただるまになると言われていたから、と言われています。
しかし、あの世からこの世に戻ってくるという設定、日本神話の「イザナミ・イザナギ夫婦」の話を思い起こさせると思いませんか?
亡くなった妻・イザナミを黄泉の国から連れ戻そうとしたイザナミは、「自分の姿を見ないでほしい」というも、イザナギはイザナミの姿を見てしまいます。
おぞましい姿に変わり果てたイザナミに恐れをなしてイザナギは、慌ててこちら側に戻ってきます。もしあの時、千尋が後ろを振り返ったなら、いわれているように本当にだるまになっていたのかもしれません。
しかし、深読みすると日本神話のように、本来のあちら側やとても酷い状態のハクの姿を見て引きずり込まれてしまい、二度とこちら側に戻れなくなっていたかもしれないとも考えられます。
トンネルが変わっていた理由とは?
冒頭で、赤いトンネルを抜けてあちら側に行きますが、ラストではごく普通の石のトンネルになっていました。
単純に考えると、赤いトンネルの状態ならこちら側から油屋のある世界に行くことのできる状態で、石のトンネルだとあちら側にいくことができないといったところでしょう。
ハクとの再会はできるのか?
ハクのその後ですが、劇場公開されたときにジブリの公式HP上で説明されていました。ハクは湯婆婆の言葉に従い、八つ裂きにされるという運命を受け入れています。
ラストの千尋の手が離れるシーンは、永遠に2人が別れるということを表現しているそうです。千尋が戻るときに髪ゴムが光るのは、八つ裂きにされたハクの涙が光っているという説もあります。
ハクが千尋と再び出会うことができるのは、「ハクが魂の存在となって千尋のいる人間の世界に行くとき」という説が有力なようです。
『もののけ姫』との関連もささやかれている!
ちょっと難しい、日本神話の話が関わってくるのですが、『千と千尋の神隠し』が、『もののけ姫』の続編ではないかという都市伝説があるんです。
公式資料集に千尋が『もののけ姫』のサンの子孫という記述があることから、こう言われているようです。
しかし、よく考えてみましょう。
千尋と出会う少年ハクは「ニギハヤミ・コハクヌシ」と言う名前で「古事記」などに搭乗する「ニギハヤヒ(邇芸速日)」という神様ではないかと想像できます。
そして『もののけ姫』でアシタカは『アシタカヒコ』と呼ばれていて、これが「足高彦」を意味するのであれば、大和朝廷と争った、東の狩猟民族の長「ナガスネビコ」から名付けられたと考えらえれます。
古事記などで「ニギハヤミ」は「ナガスネビコ」の祖先となった神という表記があります。これらのことからハクがアシタカの祖先と言う可能性が高いです。
アシタカの祖先ハクと、人の子サンの子孫である千尋が再会しているというふうにもとることができるんです。
この記事を読み終えてから、もう一度じっくりと『千と千尋の神隠し 』を観るとまた違った解釈がでてくるかもしれませんよ?


一度でたくさんの深い味わいが出るよね。