日本にある発見・未発見の埋蔵金伝説!

日本にある発見・未発見の埋蔵金伝説!

日本にある発見・未発見の埋蔵金伝説!

世界の地図を広げてみれば、ほんの小さな国土を持つ島国である我が日本。
しかし、その小さな国土には戦国の世に隠されたというものを中心に数多の「埋蔵金伝説」がひしめいているのです。
各地に伝わる埋蔵金伝説を追ってみました。

宇宙人A
日本にもまだ見つかっていない埋蔵金もたくさんあるみたいだね。
宇宙人B
もし見つけたら一攫千金の夢も大きくなるね。

数ある埋蔵金伝説、発見は常に偶然に?

日本の埋蔵金
各地にある埋蔵金伝説。信憑性のあるものから、あるわけがないと失笑されるようなものまで、規模を問わなければ、どの土地でも1つや2つは存在するとも言われています。

かつて名を馳せた名将などがお家再興のための資金として残したなどといったまことしやかな伝説とともに伝わる埋蔵金。埋められたその理由は、現代のような「確実と思われる預け先」のなかった時代に、地下に隠すくらいしか手段がなかったというものでしかないのでしょう。

こうした多くの埋蔵金伝説には、暗号めいた和歌や里歌が伝わっていたり、地形や建物にある彫刻や像といったものにヒントが隠されていて、発見するためのヒントになっているとも伝えられています。その「どこかに眠っている」というのがまた、ロマンを掻き立てる要素のひとつとなっているのです。

全国に数多と散らばる埋蔵金伝説、実際に見つかるものや信憑性のあるものは、そのなかのわずか1%程度とも言われますが・・・。

本当にあった!日本で発見された埋蔵金

信憑性の如何を問わずにかき集めれば、数千はあると言われる埋蔵金伝説。
まことしやかに伝わりながらも謎が深いとされ未だ発見されていないものもあれば、なんと実際に発見された例もいくつか存在しているのです。

銀座の土はまさに金山?:小松ストアー埋蔵金

小松ストアー埋蔵金
画像参照:http://spi-con.com/reserve-fund/
江戸川区深川の埋め立て地へ運ばれた土の中から発見されたのは、小判208枚。

発見された小判は江戸時代である慶長・正徳・享保に発行された3種類の小判で、小判の中でももっとも金の純度が高いとされる希少品でした。そのほかにも、同種の一分金60枚が見つかっています。

この小判が発見された土は、もとをただせば中央区銀座という埋蔵金伝説のイメージからはかけ離れた場所から掘り起こされて運ばれたもの。

いったいなぜ、都会の真ん中ともいえる銀座の土地からこれだけの小判が発掘されたのか?発見されてなお謎の残るそれらの小判は、その謎とともに持ち主もまた特定されず、現在は文化財として東京国立博物館に収蔵されています。

飛脚の落とし物:最上川の小判

最上川の小判
画像参照:http://home.f01.itscom.net/yaeno/discoveredtreasure.htm
山形県を流れる一級河川最上川水系の本川であり、ひとつの都府県だけを流れる河川としては国内最長とされる最上川。その川底から小判を発見したのは、なんと魚取りに興じていた小学生でした。

昭和36年、この偶然の発見から最上川にはウワサを聞きつけた多くの人が集まり、わずか半月ほどの間に小判23枚、二分金9枚、二朱銀358枚が発見されました。

当初それぞれの発見者によって保管されていましたが、その後発見場所である西置賜群白鷹町が文化財指定をし、一括保管することになりました。小判などはいずれも江戸時代に発行されたものであり、この川に小判を「埋蔵」したのは、ある飛脚であるとされています。
この飛脚、商人から頼まれて金80両を届ける最中に発見場所付近の当時の船着き場で溺死しており、この時見つかったのは彼の持っていたその80両のうちの一部であると言われています。

その説が正しければ、最上川からはまだ残りの7両3分が発見されて然るべき、ということになりますね。

ぶどう畑からお宝が:勝沼町の甲州金

勝沼町の甲州金
画像参照:https://www.amazon.co.jp/
昭和46年、勝沼町の観光ブドウ園から、武田氏の一族である勝沼氏の隠し金ともウワサされる小判型の蛭藻(ひるも)金2枚と甲州金18個が発見されました。ブドウ園の所有者が肥料を与えるためにブドウの木の根元を掘ったところ偶然に発見されたといいます。

発見された18個の甲州金はその重量にバラつきがあり、一般庶民の間で流通していたものではなく、16世紀以降の甲州金にはあるはずの刻印もないこと、また現存する文献から軍用金として使われていたものと考えられています。

発見から40年が経過した2011年、それらは山梨県立博物館が1億円で買い取り、2013年には特別展として一般公開されました。

さらにこの付近では、かつての武家居館付近から「下岩下出土甲州金」「上岩崎出土大量一括埋蔵銭」などの埋蔵金がほかにも発見されており、武田家所縁の埋蔵金がまだまだ残っている可能性があるとも考えられています。

ご先祖様の忘れ物:富山県の明治金貨

富山県の明治金貨
画像参照:http://www.carbon-gold.com/expensiveitem/meiji-kinka-2
2002年と平成に入ってから発見された埋蔵金に、富山県で発見された明治金貨があります。
江戸末期から明治初期の小判や金貨など、発見されたその数は合計1,295枚にのぼり、時価総額にして3,000万円超え。

発見された金貨は工事現場から出土したものであり、当初遺失物法に基づき、半年経過しても所有者が見つからなければ当時その土地の所有者であった国に引き渡されるはずでした。ところがその後、事態は一転。実はこの土地、金貨が発見される2年前までは個人の所有地であり、その所有者が「先祖が埋めたものに違いない」として名乗りをあげたのです。

その後の顛末はというと、金貨に刻まれていた明治6年という年号と、その頃の様子を伝える古い地図から、名乗りを上げた所有者の家の蔵がその頃にその場所にあったことが証明されます。これが決め手となり金貨は元の土地所有者の手に渡ることになりました。

今なら10億!?:鹿島清兵衛の埋蔵金

鹿島清兵衛の埋蔵金
画像参照:https://matome.naver.jp/odai/2139382521495886501/2139383232145045503
昭和38年、東京都は中央区新川の日清製油本社ビルの改装工事現場から、天保小判1,900枚、天保二朱金約78,000枚が発見されました。これだけの枚数、その時価総額は6,000万円と過去最大の発見例となりました。

現在であれば10億にもなるのではないかといわれているこの埋蔵金ですが、発見後の調査で江戸時代の半ばから200年以上に渡りその土地で酒問屋を営んでいた鹿島屋の先祖である9代目鹿島清兵衛が埋めたものと判明します。
こうして、過去最大と言われた巨額の埋蔵金は、鹿島清兵衛の子孫に無事返還されました。

事実か虚構か、未だ謎の残る未発見埋蔵金

その途方もなさや根拠の曖昧さ、そもそもあちこちの土地で囁かれるその数のあまりの多さも手伝って、おとぎ話や夢物語のように冷笑されることもある埋蔵金伝説。

既に発見されたものには、元の持ち主が誰であったのかすら正確には謎のままであるものも多いのです。そして、その多くはほんのちょっとした偶然から発見されているものばかりであるのも興味深いところですね。

一方で埋蔵金伝説には、あまりにも有名でありいくつもの仮説やウワサが流布されていながらにして、未だ発見されず謎に包まれたままのものもあります。

一度は聞いたことがある:徳川埋蔵金

徳川埋蔵金
画像参照:https://日光東照宮-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/
テレビ番組でも「その謎に挑む」といった特集が何度となく組まれている徳川埋蔵金。
個人レベルでは到底敵わないであろう資金が投入されていることが想像されるにもかかわらず、未だ発見されていません。

その埋蔵金の根拠もいくつかありますが、最も有名な説としては、「江戸時代末期、幕府が江戸城を明け渡したというそのときに、当時の大老であった井伊直弼の発案により幕府再興の資金として赤城山の山中に隠した」とされる説でしょうか。
その他にも、「足尾銅山に埋められた」「各地の東照宮のいずれか、もっとも可能性が高いのは日光東照宮である」などといった埋蔵場所に関するいくつかの説が囁かれています。

その徳川埋蔵金、気になる埋蔵量ですが、ウワサされるその金額は360~400万両

時の明治政府から資金源として、とてつもない量なのではと期待されていた幕府御用金。
しかしいざ調べてみると、城内の金蔵はすっかり空であったといいます。そのこともあり、徳川埋蔵金には財政難に陥っていたその頃の江戸幕府にはそんな資金はなかったはず、という埋蔵金に対して否定的な説もあります。

しかし新政府軍による御用金捜索の折、「幕府の財政責任者であった小栗忠順が幕府の金を持って逃げた」というウワサが流れたこと、さらにその小栗忠順が無血開城であったにもかかわらず、幕府側の処分者のなかで唯一斬首刑となっていることなどから、「徳川埋蔵金は存在する」と信じられるようになりました。
徳川埋蔵金についてもっと詳しく知りたい方はこちらも合わせて読んでください。

天下を極めた男の隠し財産:豊臣秀吉の黄金

豊臣秀吉の黄金
画像参照:http://jun-kin.info/442/
言わずと知れた、太閤秀吉。
出自が知れないとも言われる身分から成り上がり、天下を取ったその後には栄華を極めた戦国の出世頭ですね。その秀吉が死の床についた晩年、わずか6歳である世継ぎの秀頼に政権を託す不安から、勘定奉行であった幡野三郎光照に命じ莫大な黄金を遺したと言われています。

多田銀山に21カ所と分散して埋蔵したと言われる黄金は、現在の貨幣価値にして約200兆円になるともいわれれ、あの時代に一代で天下を取るまでに昇りつめた男の後の豊臣家に対する思いがうかがわれるようにも思われます。

太平洋戦争より後、三重県や大阪府の旧家から発見されたという埋蔵金に関する秘文書をもとに、長きに渡り多くの人によってこの秀吉埋蔵金の捜索が続けられているものの、今なおそのひとかけらすらも見つかっていないと言われています。

ありそうで見つからない:武田信玄の埋蔵金

武田信玄の埋蔵金
画像参照:http://blog.livedoor.jp/joverexr222/archives/cat_60242448.html
多くの埋蔵金伝説の残る、武田家。
もっとも信憑性が高いと考えられているのが黒川金山の埋蔵金です。

かつて1,000人以上の坑夫が働いたその金山の閉鎖に伴い、谷の上に設けられた宴会場には周辺の遊郭の遊女や坑夫たちを招いての大宴会が催されました。しかしそれは、枯渇した黒川金山の坑道に埋めた軍資金を隠し通すための口封じ。宴もたけなわというそのとき、宴会場は多くの参加者を飲み込んで谷底深く沈んだのです・・・。

そんないわくから「おいらん淵」と呼ばれた場所で、明治時代に一人の男が遺体で発見されました。

その男の荷物を調べると、出てきたのは金の延べ棒が10本。そして所持していたノートには、武田信玄の埋蔵金を発見したことやその在り処が記されていたといいます。

にもかかわらず、肝心のその場所は水に浸かってしまったそのノートからは判読が不可能だったのです。そのため存在するであろうことだけは証明されたものの、未だ発見されず、一体どれほどの埋蔵金が隠されているのかすら謎に包まれたままとなっています。

日本に存在する埋蔵金伝説、取り扱いは慎重に?

信憑性が高いとされている埋蔵金伝説はまだほかにもいくつもあり、既に発見されたものですら実は全体の一部でありまだどこかに残りがあるはずだとされているものもあります。

そんな埋蔵金、謎を解き明かしあるいは偶然に発見した場合、法律上「遺失物法」の適用を受けることになります。発見者は、発見から7日以内に警察に届け出る必要があり、それをしないでそのまま懐に収めてしまえば「遺失物等横領」の罪が成立します。

まとめ
まずは発見された埋蔵金と未発見の日本の埋蔵金を見てみよう。
発見された埋蔵金
・小松ストアー埋蔵金
・最上川の小判
・勝沼町の甲州金
・富山県の明治金貨
・鹿島清兵衛の埋蔵金
未発見の埋蔵金
・徳川埋蔵金
・豊臣秀吉の黄金
・武田信玄の埋蔵金
まだ未発見の埋蔵金はどれも非常に高額の期待が持てる歴史的人物の埋蔵金ばかり。
もし発見し、警察に届け出ても1割の報酬で一生遊んで暮らせる額になりますね。
ロマンあふれる埋蔵金伝説、発見した際はその取り扱いにはどうぞご注意を。
宇宙人A
埋蔵金はまさに男のロマンだね。
宇宙人B
近年の金属探知機の精度も上がっているから機会があれば探してみたいね。
日本にある発見・未発見の埋蔵金伝説!

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