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誰もが幼い頃1度は聴いたことがあるであろう、「とおりゃんせ」。昔の歌だから歌詞の意味が分からず、何となく口ずさんだり遊びで歌ったりしたという人は多いのではないでしょうか?
実はこのとおりゃんせの歌詞には、とても悲しい意味が込められているという噂が、最近広がっています。

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とおりゃんせの歌と遊び方
まずはおさらいとして、とおりゃんせの歌と遊び方について簡単に説明しましょう。
スマホなどで動画が見れないという人は、下記のリンク先でとおりゃんせの歌詞が記載されていますので、こちらを参考にしてください。
トオリャンセ
words by ワラベウタ
music by ワラベウタ
Performed by ドウヨウ
とおりゃんせの遊び方
とおりゃんせの遊び方は簡単とても簡単で、門(または門番)の2人が向き合い、両手をつないで高く上げて「門」を作ります。他の子は歌いながら1列になり問の下をくぐっていきますが、歌い終わった瞬間に門役の子が手を降ろし、下を通る子を捕まえてしまいます。
この後、門役の子と捕まった子が交代するのですが、交代方法に関しては門の2人がじゃんけんをして勝った方と交代、門の子とじゃんけんして負けたら交代など地域によって異なるようです。
とおりゃんせに隠された意味とは
とおりゃんせの意味をきちんと考えたことがある、という人はほとんどいないのでは?
昔から伝わっているわらべ歌は、とおりゃんせのように遊びで使われているものもあり、深く考えずに口ずさんでいることが多いですよね。とおりゃんせの意味についてはさまざまな説がありますが、今回は代表的な2つの説をご紹介します。
とおりゃんせは関所のことを指している?
今では考えられませんが、江戸時代は「幕藩体制」で徳川家を筆頭に、各地の大名がそれぞれの土地を支配していましたが、その土地に住んでいる人々は簡単に他の大名が支配している土地に移動することができなかったんです。
県境には「関所」が設けられており、通過するには「通行手形」が必要になります。手形一つとるのもとても大変な状況でしたが、どうしても取り寄せる時間がないほどの重大かつ緊急な場合は、ごくまれに関所の役人に強く懇願することで通してもらえることもあったようです。
しかし無事関所を通過し目的を果たして帰ろうとした際に、手形を持たず関所を通過したことがばれてしまうと極刑にされてしまいます。また手形のない人物を通したことが発覚して自身が刑を受けるのを避けるために、帰りはお役人が通してくれないことがほとんどだったようです。
ごく一部では手形がない場合に賄賂(お金)を渡せば通れたかもしれませんが、それも他の役人に知れてしまえば極刑を科せられてしまいます。
そのためとおりゃんせは通行手形を持たずに関所を通る怖さを、子どもたちに教えるために作られた歌ではないかという説があります。
母親が子どもを捨てに行く歌だった?
とりゃんせの歌詞ですが、よく見てみると門番と母親との言葉の掛け合いになっていることに気づくのではないでしょうか?
最初の「とおりゃんせ、とおりゃんせ」は実は門番が子どもを連れている母親に言っているという考えで、この説は解説していきます。
ここはどこに続く道なのか、という母親の問いかけに門番は天神様が祭られている神社へ向かう細い道、という回答をしています。しかし用がないなら通せない、というのですが、母親は子どもが7つになったお祝いのためにお札を神社に納めに行くと話します。細い道を行くのは簡単だけれども、帰りは苦となり危ないと門番は言いますが、母親がそれでもいいというので、門番は「通りなさい」といって母親を通す、というもの。
帰りが危ない、というのは帰りの時間が遅くなるため暗くなって足元が危ないという意味でしょう。「7つのお祝い」については、「七五三」が関係しているともいわれています。
七五三ととおりゃんせの関係
江戸時代や平安時代など昔の日本は今とは程遠いほど、食料が少なく、干ばつなどがおこれば食糧不足で小さな子どもは亡くなってしまうことが多かったんです。
そのため今でも行われている「お宮参り」で、神様に子どもが生まれたことを報告して、「3歳・5歳・7歳」という一定間隔を設けて、神様に子どもが生きることができた、ありがとうございましたというお礼をしに行くのが「七五三」と言われています。
7歳で終わる理由ですが、当時の7歳は今でいう数え年の7歳で満6歳のことです。今の小学校1年生ともなれば生まれたばかりのころと比べれば、成長期真っただ中で体力的にも生まれたばかりのころよりも強くなっています。
そのため7歳の時のお参りは「7歳になったのでもう大丈夫、神様ありがとうございました」と、今まで見守ってくれたお礼を言うために行くとされています。
お参りではなく口減らしだったという説も
今も昔も子ども一人育てるのには、時間もお金もかかります。しかし江戸時代などの庶民にはお金がない、食料も少ないという辛い現実があっため、ひとたび飢饉などが起これば真っ先に口減らし対象にされるのは、年寄りか働くことのできない病人や幼い子どもです。
ごく普通に七五三に行くのであれば、昼間に行くはずです。しかし夜お遅くに行くのは、どんな理由があったのでしょうか?
江戸時代などの時代背景などを考えると、もしかしたら口減らしのため、飢饉を何とかしてほしいと神様への生贄に選ばれた子どもを神社に連れて行く歌だったのかもしれません。
疫病に関することを示唆している?
これも仮説ですがとおりゃんせの歌詞は、疫病が蔓延してしまい幼い子どもが亡くなってしまうということを象徴しているのではないかというもの。とおりゃんせの遊びで最後に門役の子が手を降ろして捕まえるのは、あらかじめ誰とは決められていません。「無作為」に選ばれるため、捕まった子どもが疫病に感染しなくなった人を示しているのではないかともいわれています。
とおりゃんせの歌は諸説色々あり、今回ご紹介したもの以外にもさまざまな説があります。
何となく聞いているとおりゃんせ、一度よくその意味を考えてみると思わぬ発見があるかもしれませんよ。