ツチノコの正体が発覚!?

ツチノコの正体が発覚!?



ツチノコの正体が発覚!?

1970年代にブームとなったUMA「ツチノコ」。
現在では「オオアオジタトカゲがその正体である」という説が定着し、もはやツチノコはUMAではないという認識もあります。
ツチノコの正体が発覚!?
出典:http://imgl-a.dena.ne.jp/exl3/20101012/121/146013561_1.JPG
しかしその定説、信用するには・・・?

宇宙人A
今回は、UMAで有名なツチノコについて調べてみたよ。
宇宙人B
ツチノコは本当に実在しているんだろうか?
早速見てみよう。

ツチノコの正体、その定説を覆すもの

ツチノコは日本で古くからその存在が言われてきている有名なUMAのひとつ。
その目撃情報は多く、正体については当初「獲物を丸のみしたヘビ」と言われていましたが、その後「オオアオジタトカゲ」であると言われるようになり、現在ではそれが定説になっています。

ツチノコの正体は「オオアオジタトカゲ」?

アオジタトカゲ
出典:http://www.laura.jp/sy/P1010765.jpg
1970年代の日本にブームを巻き起こしたUMA、ツチノコ。
獲物を丸飲みにした蛇を誤認しただけ、と当初言われていたその正体は「オオアオジタトカゲ」というトカゲであると言われるようになり定着し、もはやツチノコはUMAではないという見方もあります。

ではそのツチノコとオオアオジタトカゲ、どれほど一致しているのでしょうか。

ツチノコの特徴

ツチノコの特徴
出典:https://ja.wikipedia.org
ツチノコの特徴として、ブームになった1970年代に言われていたものは

ツチノコの特徴
・蛇のようでもあるが胴の中央部分がビール瓶のように膨らんでいて、足はない
・蛇のような皮膚をもち、縞柄である
・6~70cm程度の大きさ
・2メートル以上、5メートル、10メートルなど差はあるがかなりのジャンプ力がある
・非常に素早い
・体を伸縮させる、または尾を咥えて転がるといった方法で移動する

といったもの。
そのほかにも「チーと鳴く」「いびきをかく」「日本酒が好き」といった、それはさすがに尾ひれつきすぎ(笑)!と思われるような特徴も言われていました。

そしてブームの頃にはかなりの盛り上がりを見せたにもかかわらず、その実在については未だハッキリしていません。ブームのその当時、テレビ番組などでも取り上げられ、捕獲を試みるといった特集が組まれることもありました。しかし捕獲したという話はあっても「祟りを恐れて逃がした」「死体が消えた」など、都市伝説化するには必要十分な理由をもって、その姿や存在を証明するものは何もないまま現在に至っています。

オオアオジタトカゲの特徴

オオアオジタトカゲ
出典:https://allabout.co.jp/gm/gc/70255/
ツチノコの撮影に成功したとされた写真もあったものの、その正体はニホンマムシの亜種であると死後の解剖結果から判明したなど、実在するのかすらも怪しいとされてきたツチノコ。
そのツチノコの正体として定説になっているのが「オオアオジタトカゲ」という生物です。

オオアオジタトカゲには、確かにツチノコの特徴と一致する胴の膨らみがあり、皮膚は縞柄という姿をしています。その大きさも体長70cmほどと、言われているツチノコとしての特徴とほぼ合致するのです。

さらにこのオオアオジタトカゲ、ツチノコの特徴として言われてる姿とは違い足はあるのですが、その足は非常に小さく短いもので、真上から見るとまるで足がないように見えます。
草むらのなかなどで発見すれば、よほどその場にジッとしていてよくよく観察できたということでもない限り、「足がない」と認識されてもなんら違和感はありません。

そんなツチノコの特徴として言われてきた見た目と見事に一致していることもあり定着した「オオアオジタトカゲ説」ですが、この説に対しては否定的な意見もあります。

覆される定説のオオアオジタトカゲ説、その背景

ツチノコの正体
出典:http://dokumushikeihou.up.seesaa.net/image/2007.12.19.jpg
ツチノコの正体についての定説とされている「オオアオジタトカゲ説」。ただしこのオオアオジタトカゲ、もともと日本にいた種ではありません。

オオアオジタトカゲはもともと、インドネシアやオーストラリア、パプアニューギニアに生息する生物。雑食で森林などの草地を好んで生息し、その主な活動時間帯は昼。1970年代に輸入され、安価で購入でき飼育しやすいことから人気となった爬虫類です。

外見的な特徴や生態の面がツチノコのそれと合致することからも定着した「オオアオジタトカゲ説」。しかしもともと日本に生息している種ではなく、輸入されペットとして人気を博した経緯から、その定説が否定される向きもあります。

しかしながら、ペットとして人気となったオオアオジタトカゲが、その後逃げ出したり飼育放棄されて野生化したものがツチノコと誤認されただけ、というこの見解。これには、もともと日本にいた種ではないためそれまであまり人々に認識されていなかったものの、輸入され人気となった時期がツチノコブームの時期と一致していることもあり、あながち納得できない話でもありません。

しかしこの定説には、ひとつ未解決の大きな問題がありました。
それは、ツチノコがオオアオジタトカゲの輸入されるようになった1970年代よりも遥か昔から目撃されている、ということへの説明がつかないのです。

ツチノコの目撃情報「昔からある」は本当か?

ツチノコの歴史
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/16/Doeti_Nozuchi.jpg/240px-Doeti_Nozuchi.jpg
定説を覆す根拠となる、ツチノコの目撃情報が古くからある、という話。では一体それはいつ頃から始まっているのかといえば、時代は江戸までさかのぼります。

江戸時代の文献には、ツチノコの姿形や生態に関する説明だけでなく、挿絵までついたものがあります。更にもっとも古く目撃されていた可能性として言われているのは、なんと縄文時代。縄文時代ともなると、江戸時代のように現代にまで伝わる文献が残るような時代ではないのですが・・・。

縄文時代にもツチノコはいた?その証拠とは

縄文時代
出典:http://www.globe.sh/guzzi/joumon01/joumon-2.htm
現代にまで伝わる文献などの存在は、およそ望むべくもない縄文時代。その縄文時代にもツチノコの目撃はあったのだとされる話は、一体どこから来たのでしょうか。

その答えは、縄文時代の土器や石器を収蔵する考古学館にありました。

長野県にある尖石考古館に収蔵されている縄文土器には、壺の縁飾りにツチノコと思しき姿のものがあるのです。

顔は平たく、目は大きく、トカゲに似た体つきではあるものの、足はない。

ツチノコらしき模様のあるものこれだけではなく、岐阜県の飛騨民族考古館に収蔵されている縄文石器にも同じような特徴のものがあります。

単なる偶然の一致という捉え方もできますが、文字らしい文字というものもなかった縄文時代、土器や石器の模様などが文字と同じような情報を持つものであったともいいます。

その模様にツチノコを想起させるものが存在する。これにより縄文時代にもツチノコは生息、目撃されていたとする説があるのです。

さまざまな文献に見られるツチノコ

ノヅチ
出典:http://www.chojugiga.com/2017/05/17/da2choju22_0018/
縄文時代にも人々が目にしていた可能性が考えられるツチノコですが、さらに時代は進み、西暦700年代となる奈良時代の文献である「古事記」と「日本書紀」にも、ツチノコと思われるものが登場します。

その名も「ノヅチ」。

ツチノコという呼び方が一般的とされている部分もあり、あまりよく知らないという人には見慣れない名前ですが、ツチノコの呼び名は全国でさまざまに伝わっており、「ノヅチ」もそのひとつです。

古事記と日本書紀には、この「ノヅチ」という名前がカヤノヒメ神の別名として記述されています。そしてこれこそが、初めて文献に登場したツチノコである、と言われています。

さらにそのノツヂ、漢字で書けば「野槌」という表記になるのですが、古事記の時代からさらに進んだ鎌倉時代に再び登場します。鎌倉時代に刊行された「沙石集」、ここに「徳のない僧侶が生まれ変わった姿」として「野槌」が説明されています。

縄文時代の象形文字のような話から、徐々にツチノコとの繋がりが明確化していく、数々の文献に残る記述。これが江戸時代になると、更にハッキリとした形でさまざまな文献に登場することになります。

江戸時代のツチノコは詳細に描かれる

描かれたツチノコ
出典:http://www.geocities.jp/kigaru0000/picture/tutinoko2.jpg
江戸時代の百科事典「和漢三才図会」には、野槌蛇というものが登場します。和漢三才図会では、現在の奈良県の辺りで目撃される生物として紹介され、槌(トンカチや金槌のような形状の道具)に似ていることから野槌という名がついたという名前の由来にも言及しています。

またツチノコの生態やその姿についても、山の木の穴に住み大きなものでは体長90cmほど、直径では15cmほどであり、人を見つけると坂を転がり降りてきて足に噛みつくのだという説明がされています。

さらには、坂を転がり降りてくるには速いが登るのは遅いので、万一出くわしたら高いところへ逃げる、といった遭遇時の対処法にまで言及しています。

縄文から奈良、鎌倉、江戸と時代を大きくまたがって、より具体性を増したツチノコに関する記述。こうした文献に見られるツチノコの姿からすると、もはや正体不明のUMAというよりも、古来からいたけれども、現代に至るにつれ珍しくなってしまった種、という様相でもあります。

江戸時代に描かれたツチノコの姿

江戸時代のツチノコ
出典:http://www.masabo.jp/
和漢三才図会では、その生態から対処法に至るまで詳細に記述されていたツチノコ。これに添えられた挿絵は、どう見ても単なる蛇にしか見えない細長い姿でした。
また、それより60年ほど後に刊行された鳥山石燕による妖怪画集「今昔画図続百鬼」というものにも、やはりほぼ蛇といった様子のツチノコの姿が「野槌」として収められています。

こうなってくると、江戸時代に言われていた「野槌」という生物は、やはりツチノコではないのではないか・・・とも考えられます。むしろ「野槌」はツチノコではなく、特徴の類似した別の生物(蛇)のことなのではないかという可能性すら出てくるところです。

しかしそれ以降のものである畔田翠山による「野山草木通志」には、和漢三才図会や今昔画図続百鬼に描かれていたものより遥かに「ツチノコらしい姿」の野槌の絵が登場します。さらに、同じ江戸時代でも1800年代に入ってからの刊行である、井出道貞による「信濃奇勝録」の野槌に至っては、現代のツチノコのイメージそのままといった姿が描かれています。

畔田翠山は諸国を巡って植物などを採取しいくつかの図録にした人物であり、井出道貞もまた現在の長野県である信濃国の十数年に渡る実地調査による見分を記録した人物。井出道貞の野槌の絵に至っては、ツチノコの目撃談を聞いて書いた絵だと伝えられています。

では結局ツチノコの正体は何なのか?

江戸時代には説明とともに、その姿も絵として残されているツチノコ。ほぼ蛇にしか見えないような和漢三才図会や今昔画図続百鬼と、現在認識されている姿と同じものが描かれている野山草木通志に 信濃奇勝録。
それらの文献を見る限り、江戸時代には確実にその存在が認知され、鎌倉・奈良とさかのぼればそれと同じものを指していると考えられる記述が残るツチノコ。
定説が覆されることにより、その正体は再び不明とはなったものの、少なくとも「存在する」、あるいは「存在した」生物であることは間違いなさそうです。

まとめ
昔から伝承されているツチノコは、蛇やトカゲの見間違いとされているケースが多いがこれほどまでに昔から記録が残っている事から考えると実在したケースが高いと考えられる。
現在に至っての発見が無いのはかつての絶滅危惧種だった可能性も考えられる。
宇宙人A
ツチノコは実在する可能性が極めて高いUMAなんだね。
宇宙人B
未確認生物で実在の可能性が高い生物は非常に珍しいね。



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